コラム

08年05月 : 旧友

記入者:湯坐麻里子

 GWの前半は,関西に帰省して,京都の元いた事務所に挨拶に行ったり,旧友に会ったりした。

 旧友というのは,小学校の頃からの友人や高校の友人等である。年齢的には大人になって,それなりに社会経験も積んで,まぁ相応の顔になってはいるものの,お互い「あんたは・・・というようなアホなことをやっていた」というエピソードに事欠かないので,会うと,お互いに遠慮のないことを言い合っている(本当に「あんた相変わらずアホやな」などということを平気で言うし,言われる)。

 私は,もともと,あけすけな方なので,他人に対して遠慮して物を言う,というタイプでもないのだが,やはり,自分の人格が固まる前からの友人というのは,どう繕っても無駄(?)というような妙な諦念があって,話していて安心する。当然,過去の話をするのみならず,現在の話もするのだが,自分をよく知っている相手の言うことというのは妙な説得力があって,性格の曲がった私などは「あらそうかね」と素直に返さないときもあるが,実は心のどこかでひっかかったりしている。

 私は,マメに連絡する方では全くなく,はっきり言って,他に夢中になったり,忙しくなると音信が途絶える(但し,助けを求められたときは除く)友人失格タイプなのだが,それでも,未だに友人関係が続いている友達というのは文字通り「有り難い」 し,大切な存在だと思う。

 たまに関西に帰省してこういう友人達に会うと,人というのはやはり仕事がどう,金銭がどう,ということだけではなく,他人との気持ちのつながりが一番心を穏やかにするのだなぁと思う。

 といっても,どこまでも,現実的な私はさらに続くのだが,他人との気持ちのつながりが一番なのは上記の通り間違いない。しかし,それ以外に仕事その他のバランスがうまくとれているのが最もよいのであって,人というのは複合的な生き物だと思う。だから,いずれかだけ強調するような論調をみるとしらけた気分になる。

 今回は,友人をテーマに美しくまとめようと思ったが,結局,いつも通りの終わり方になってしまった。まぁ,そういう奴だと友人からは諦められているのでそれもまたよしである・・・