コラム

09年01月 : 熱を測れない女

記入者:湯坐麻里子

 私は熱を測るのが苦手である。
 体温計がピピピと鳴るのを待つことができないのである。
 本を読むなり、雑誌を読むなりして気を紛らわせるようにはしているが、「果たして何度なのか」ということが気になっているので集中できない。
 イライラして、「もういいや。そもそもブザーを聞き逃したのかもしれない」と勝手に脇からはずした後にピピピと鳴ったりして、正確な数値なのか不安で計りなおす羽目になったりすることもよくある。

 耳で1,2秒で測る体温計を買ったことがあるが、イマイチ信用できず、結局従来型の体温計で計ることになって二度手間であった。

 次には、30秒で計ることができる体温計をみつけ、最近まで愛用していた。

 がしかし、この体温計ともお別れすることとなった。
 先日、40度まで上がって、その後半日位して38度までは下がるのだが、また上がり、また下がり・・・というのが4日間続いていた。この年齢で、40度の熱というのはかなりしんどい。私にとって体温計の数値が人生一番の関心事になっていた(尚、インフルエンザではありません)。

 「もういい加減下がっただろう、なんとなく気分もいいし」と体温を計ると「38度2分」であった。「おーいい感じ」(38度だって、それなりの熱であるが40度よりはマシである。比較の問題である)と、その1時間後にさらに下がっていることを期待しながら体温計を脇に挟んだ。
 30秒後、ピピピという音がした。喜び勇んで体温計の表示を見たところなんと「39.2」という数字が並んでいるではないか。高熱にいい加減飽きていた私は「信じられん。嘘に違いない」と、再度計ってみたがまた「39.2」であった。
 あきらめられず、今まで敬遠していた5分間測定式(しかもささやくようなお知らせ音で聞き逃しやすい)の体温計で計ってみたところ「38.4」であった。
 そらみろと今度は30秒式を右脇5分式を左脇に挟んで計ったら、30秒式の方もあきらめたのかようやく「38.4」を示したのである。

 体温計によって多少の誤差があるのは仕方ないと思うが、いくらなんでも8分の誤差はひどい。
 高めの数字を出すというのは,仕事しすぎのお父さんとか,仮病を使いたい学生などにはいいことかもしれないが,純粋な数字を知りたい私にはおせっかいというものである。

 その後は悟りを開いた僧のように5分間おとなしく待って計るようになり、最終的には36度5分まで熱が下がり、体温計の数値に一喜一憂する日々は終わりになった。

 体温計と同様に私をイライラさせるものがもうひとつある。それはパソコンである。調子が悪く起動が遅かったり、ネット検索をしていてなぜかすぐに表示がでなかったりすると、理性を失ってカチカチとクリックしまくってしまう。それで余計に動かなくなり、再起動する羽目になったりして、旦那に「壊れるだろう!」と本気で怒られたりしている。

 普段、自分ではとりたててイラチ(関西弁 =イライラしがちな性格のこと)ではないと思っているが特にパソコンの前ではものすごくイラチである。きっとパソコンから何か悪い電波が出ているに違いないと結構本気で思っている。 

 

09年01月 : 女の脳、男の脳

記入者:湯坐麻里子

NHKスペシャルで「女と男」という番組を観た。
非常に興味深いものだった。

 人類の進化の過程で、女は、男を子どもを育てるパートナーとしてふさわしいかという観点で相手を選び(だから「経験」(何を約束しどう果たしてくれるか)に照らして男性を選択する)、男は、よい子どもを産んでくれる相手(腰のくびれ具合)かという観点で選択するようになった(だから、「目で見て」女性を選択する)。
 だいたい恋が3年位で破局するのは、子育ても3年位すると女(と子ども)にとって夫(父)は不要になる為。また、男性はまた新たな子孫を残す為に別の女性を探し始める等など、それなりに面白い話であった。
 さらに、「しかし、人類は進化し、カップルの意味が変わってきた。夫婦はただ子孫を残す為にできるものではなく、長い人生のパートナーの意味合いが強くなってきた。さて、夫婦がお互いよいパートナーでいるためには」というテーマについても語られていて、なかなか面白かった。

 だいたい、男性とこの手の話をすると必ず「男は子孫を残したいという本能があるから浮気をしがちなのだ」というところで話が止まってしまい、「あんた、この現代社会で、類人猿時代の本能だけで生きていっていいと思っているのか!」と憮然とすることが多かった。そういう意味でも、今回のNHKスペシャルは、男性陣に対する啓蒙番組としても誠にすばらしい番組でもあったと思う。

 として、夫婦というのは難しい。離婚が避けられるならば避けたいと思いながらも、時には離婚という結果に至ることもある。離婚した方が互いの人生にとってよいという考えに至ったのであればそういう結論もやむを得ないだろうと思う。

 弁護士として、離婚事件を担当していると、たまに相手方から「弁護士が離婚するようたきつけている」と文句を言われることがある。しかし、そういうことは絶対ない。決めるのはあくまでご本人であって、私は、依頼者の意思に基づいて法的サポートをするのみである。弁護士は法的な専門家に過ぎない。

 また、「離婚の法律相談に行ったらワガママだと説教された」という話をきくこともある。しかし、私が弁護士としてすべきことは心情を理解するように努めることと法的なアドバイスをすることだと思っている。私は相談者の方の人生についてあれこれ言える立場ではない。

 

記入者:湯坐麻里子

2009年、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

 として、新年だ!とあらたまった気持ちになっていたのはいつまでのことだっただろうか・・・

 ここ数年は新年だからといって改まった気持ちになることはなく、たとえば、新しく事務所を開設したから、福島に来て最初に担当した労働事件が終わったから、新しく委員に任命されたから等、自分に直接関係ある事柄をきっかけにしてしか、気持ちが新たになるということがなくなった。

 外部からの働きかけ?には心が動かず、自分の事情でしか気持ちが新たにならないというのは、ある意味、ふてぶてしい大人になってきた〔って、いい加減、もういいトシだから大人に決まっているのだが〕ということかもしれない。

 しかし、「湯坐麻里子。頼むから、新しい年になったのを機に気持ちを改めてくれ!!」(この場合は「気持ちを新たに」ではなく、「気持ちを改める」であろう)と思っている方もおられるのかもしれない。とすると、ちょっとは、改めた方がいいかも等など、いろいろ考えてみたりもする。

 まぁ、もうすぐ、めでたくもないが私の誕生日もくるので、新年と誕生日の合わせ技で気持ちを改めてみるのもいいかもしれないとも思う。

 と、新年のご挨拶としては全然美しくない文章ではありますが、今年も何卒よろしくお願いいたします。