コラム

記入者:湯坐麻里子

私の鼻ははっきり言って低い。

私の鼻について今まで言われたことは色々あるが,
BY 兄
・・・風邪をひいたかわいそうなマリコが兄の横で鼻をかんでいた際に
「その低い鼻からよくそんだけ洟がでるなぁ。
 まぁがんばってかみや」

BY 旦那(湯坐聖史 職業 弁護士)
・・・しみじみと顔を見ながら
「そんな低い鼻でよくがんばって息をしている!」
親からも当然,しょっちゅう言われている
「まぁ,鼻が低くてぶさいくな方が
怒ってても恐ろしくなくていいやん」等など数知れず

こういうことを幼少期,思春期の傷つきやすい頃から言われていたが
傷つくこともなく,鼻が高かったらこんな顔になるんかなぁと鼻をつまんだ顔を
鏡に映して,「まぁどっちもどっちやなぁ」と思ったりしていた。

上記は鼻についてであるが,他にもえらい言われようをしたことは
当然沢山あり,中でも笑えるのが
BY 小学6年生のときの担任教師
・・・修学旅行の集合写真を配る際に
「一番おもろい顔で写ってる奴から返す。
 1 まりぃ(尚,外国人の「マリー」という発音ではなく
       関西風に「ま」「り」の両方にイントネーションがある発音である。)」
この写真,空港での撮影で大変まぶしかった為に皆結構面白い顔で写っていたのだが,
確かに,私の顔はとりわけぶさいくに写っていたのであった。

しかし,一般的に考えて,人の容姿について,これらの発言をするのは
普通はダメ!と言われているのではなかろうか。
とりわけ親やら教師,旦那が言うのはタブーだと言われている筈である

だが,私はこれらの言葉によって泣くことも傷つくことも歪むこともなく
(仮に,歪んでいるとしてもそれは多分別の理由である),
むしろ話のネタにしてきた
それはなぜかといえば,
彼らの言葉が私のプライドを傷つけることがなかったからだと思う。

こういうことを考えていて,ふと「言葉の難しさ」と「言葉のもつ危険さ」を思う。

〓〓〓〓〓〓〓言葉の難しさ

言葉というのは難しいものである。
同じことを言われても傷つく人と傷つかない人,
傷つくシチュエーションとそうでないシチュエーションがある。
シチュエーションというのは,言い方や雰囲気というのもあるし,
言った人と言われた人の信頼関係というのもある。

たとえば,セクシュアルハラスメントになるかならぬかも,
結局,人的関係と,言動の内容程度の相関関係だろう。

特にセクシュアルハラスメントについては,
訴訟でセクハラと認定されるかどうかは別として,
言われた側にそれをセクハラととらえるか否かの決定権がある。
そのことをセクハラの加害者になる立場にある人はよく認識しておくべきだろう。

尚,上記のようなことは,
セクハラのみならず,あらゆるハラスメント(いじめ・嫌がらせ)についても同様である。

〓〓〓〓〓〓〓言葉のもつ危険さ

言葉は人を救うときもあれば,人間関係を修復不可能なまでに壊すときがある。
特にそれを感じるのが離婚事件を担当しているときである。

離婚を決意するに至るまでには,当然,それまでの互いの行動の積み重ねの問題が
一番大きいが,大概,離婚するか否か迷いつつも,
できれば離婚は避けたいと考えながら日常生活を送っておられるものである。
それが,完全に「離婚」の方に針が触れるきっかけが
「相手の決定的な一言」であることが結構多い。

相手の人格・人生を決定的に否定するような言葉は思っていても
絶対に口に出すべきではない。

あと,それと並んで,口にすべきでないのが
「相手の身内(特に親兄弟)を蔑む,否定する言葉」である。
親兄弟のことを悪く言われるのは,
自分のことを言われるよりもより一層傷つくことが多い。

自分のことは,まぁ自分でコントロールできるし,
そんなことを言う相手を選んだ自分が悪いと思うことができる。
しかし,
親兄弟のことを悪く言われると,「自分のせいで,大切な身内を害された」という
申し訳なさとやるせなさでその人を押しつぶしてしまうのではないかと思う。

尚,嫁姑戦争は上記とは別の論理で動くもののようなので,上記とは別の考察が必要だと思われる。

〓〓〓〓〓〓〓
と,私も実は(今更かもしれないが)「毒舌」といわれる輩である。
言葉には気をつけなければならないと思っているが
しかし,なかなか難しいことである。

尚、このコラムを読んだ後に私に対して私の鼻についてコメントすることは控えてください・・・

 

記入者:湯坐麻里子

 さて,ようやく姜尚中先生の「悩む力」の内容の話である。

 この本は,漱石やマックスウェーバーの言葉を引用しつつ,悩みつつ生きるということについて書かれている。
 
 漱石といえば,高校時代によく読んだ本で,図書館にある漱石は全て読んだ筈である。しかし,「漱石=ひ弱なインテリが出てくる小説」というレッテルをはってしまい,大学以降,漱石を読むことはなかった。それなりに面白くは読んでいたが,私には漱石を読解する力はなかったのだろう(それでも,「こころ」なんかは好んで何回か読んだ記憶がある)。

 今回,改めて,姜先生の本の中で漱石が引用され,漱石の思想が語られているのを読んで,「なるほど,そういう読み方ができるのか」と知的な開眼をして大層爽快であった。

 この本の中で一番,共感したのは,「何のために「働く」のか」というテーマの中で,「人が働く」という行為のいちばん底にあるものは「社会の中で自分の存在を認められる」ということである,と書かれていた部分である。

 私は,司法試験受験生の頃から弁護士になったら労働事件に取り組みたいと思っていた。当時は,派遣切リではなく,リストラが社会問題化している頃だった。受験生で考える時間ばかり沢山あった私は,自分は働いていない気楽な身分であったが,「働くとはどういうことか」「解雇されるとはどういうことか」ということについて色々と考えていた。そして,私は周囲の友人に,「別に会社人間とか仕事人間という意味ではなく,働くっていうことは,社会に認められる第一条件である。それを突然解雇されるっていうことは,社会から「あんたは不要」といわれているようなものである。だから解雇問題は,単なる経済的な問題ではなく,人格的な問題である」とよく語っていたものである(私って,おっさんみたいに結構語る人間なのである)。

 姜先生の本の中でも同じような文脈のことが書かれていて,そうだよね,そうですよねと思い,弁護士としての気持ちも新たにした。 

 その他,姜先生の本は,「恋愛」「宗教」「金」「老い」等色々なテーマに沿って書かれていて,興味をひかれるところは人それぞれであろうが,どの章でも,悩みながらも,生きていこう,いや,悩むことこそが生きていくことであって,しかも悩むことはマイナスのイメージでとらえられる事柄ではないということが書かれている。

 私がいつも思っているのは,どういう状況におかれようとその状況をどうとらえ,その中でどう生きるかはその人の考え方次第だということである。明るくなるのも暗くなるのも自分が決めた結果である。この考えが私の人生観の主柱になっている。

 として,姜先生の本はいかに考え悩むかについてとてもよい指針になる本だと思う。
 おススメします。 

 

記入者:湯坐麻里子

 姜尚中先生の「悩む力」を読んだ。
 姜先生といえば、東大(大学院)教授でありながらも(?)、結構女性ウケするタイプで、女性雑誌でも「最近のモテ筋」みたいなとりあげられ方をしておられたりする先生である。そして、私も、他の女性と同様、姜先生のことは嫌いではない(と書くと、「お前は何様か」という感じだが・・・)。

 で、この「悩む力」、よく売れているときいて、またミーハーにも手にとってしまった。ただ、よく売れている本というのは読んではみるものの「そんなに面白いんかいな」という感想に終わることも多い。特に、人生論みたいなものは面白くないものが多かったりもする。

 たとえば、「女性の品格」という本も大層評判だったのでまたまた読んでしまったが、全然面白くもなく、感心もしなかった(納得のいく話も沢山あったが、発見はなかった)。だいたい、本当に品格がある女性が、「自ら女性の品格があります」といわんばかりに「女性の品格」本を書くものなのだろうか。

 本を買う前にそのことに気づくべきだったのだが、品格の無い私はつい「ワタクシメのような者でもこれを読んだら品格というものが身につかないまでも少しは分かるのかも」と安易に購入してしまったのであった。

 さらに、同じ作者が女性の品格に続いて「親の品格」という本まで書いたと知ったとき、ますます一体この人は何なのだろうと思ってしまった。「親としてどうあるべきか」というのは、おそらく一生のテーマだろう。それにもかかわらず、教育のプロではない、親としては一般人である人間が書いてしまったことに「大層な自信だなぁ」と唖然としてしまった。これがたとえば「ワタシメが思うあるべき親の姿」等の控えめな題名であれば何も思わないのだが、よくも「親の品格」という題名をつけはったものだと思う(勿論出版社のススメによってつけられた題名だろうが、断固拒否すべきであったと思う)。この本の筆者は優秀な方であるし、女性として尊敬すべき先輩なのであろうと思うだけに、尚のことなんだかなぁという感じである。

 と、話が随分それてしまったが、姜先生の「悩む力」、今回も殆ど期待せず、ただ、「まぁ姜先生の本だし読んでみるか」と読んでみたのだが、これが大層面白かった。ますます私の中の「姜先生」ミーハー熱が高まってしまった。今までは姜先生の思想、いや、専門すらよく知らぬまま外見と雰囲気のみで「素敵!」と思っていたのだが、この本を読んで全面的に「LOVE 姜先生!」となってしまった。

 と,脱線話が長くなってしまったので,次回に続く・・・

 

記入者:湯坐麻里子

 ドラマで仲の悪い夫婦がいて、妻が「今日、役所で離婚届をもらってきたらから」というセリフを吐き、夫がビビる。そして、届けを「こんなもの」とビリビリ破るという場面をみたことがある。
 
 私は離婚事件を結構よく担当している方なので、離婚届を依頼者に書いてもらうことが多く、事務所には常に離婚届等の届出用紙を備えておくようにしている。

 新白河法律事務所を開設した際にも早速事務員に役所で離婚届その他諸々の用紙を5,6枚もらってきてと頼んだ(が、役所から「そんなに渡せません」と断られて帰ってきた)。

 ある日、離婚届の書き方を確認する為にネット検索していたら離婚届をダウンロードできる市町村のHPをみつけた。
 しかし、ダウンロードして印刷した離婚届用紙が使えるのはIT化が進んだ市町村だけだろうなぁとなんとなく思っていた。
 やはり、離婚届といえば、「緑色で印刷されていて、紙質はペラペラした独特の光沢のある紙」「役所でもらうべきもの」というイメージがあった。

 でも、考えたら、別に様式さえ整っていればいい筈である。緑色のペラペラでなければならんという道理はない筈である(そもそも、なぜ緑色なのか理由も不明である)。やっぱり、使えるのかもしれないと白河市役所に電話して問い合わせたところ、あっさり「使えます」と言われた・・・・

 それ以来、離婚届でも離縁届でも何でもダウンロードできるものはせっせとダウンロードして印刷して使っている。

 として、色々な市町村のHPをみるのだが、ある地方公共団体(「区」である)の戸籍関係のページは、婚姻届はハートマーク入りのイラスト、離婚届は男女のキャラクターがそっぽを向いている図、離縁届は、親子の別れの図になっていた。公のところのHPとしては配慮がないといわれるんじゃないかなぁと思って見ていたが、やはり最近、変更になったようで、イラストはなくなっていた。