コラム

記入者:湯坐麻里子

 香山リカ先生の「しがみつかない生き方」を読んだ。
 この本,「勝間和代を目指さない」というフレーズで話題になった本だが,私も例に漏れず,このフレーズに興味をひかれてこの本を読んだ。

 正直なところ,「TVによく出てる香山リカか」とテキトーな気持ちで読み始めたものである。
 しかし,適宜引用されている話が興味深く(私の大好きな内田樹先生も登場した),相当な知識や推察をバックボーンにしてこれだけ平易に書けるのは凄いことだと,当たり前のこととはいえ,「この人は賢いんだ」と思った。そして,今までバカにしていてすみませんでした,とペコペコ謝りながら読んだ。

 さて,この本,要は「普通でいいじゃないの」「別に秀でている必要もないし,日々ちょっといいことがあったり,逆にちょっと落ち込むことがあったり,人生それで十分でしょう」という話である。
 別に目新しいことが書いてある訳ではない。でも,それをあえて書かなければならない程,普通に幸せを感じられない人が多い(「幸せではない」というより,「幸せを感じられない」というべきあろう)ということである。

 確かに,大半の人は勝間和代のように表彰されたり,世の中から注目されている訳ではない。
 として,幸せってどういうときに感じるのだろう。それは「人から認められるとき」(認めるといっても賞賛ではなく,共感だけでも十分である)ではないだろうか。
 孤独に強い人もいるだろうけど,なんだかんだいって,人との関わりの中に感じる喜びが大きいように思う。
 そして,その喜びのきっかけは些細なことで十分だと思う。ちょっとサポートをしたときに「ありがとう」「嬉しかった」「助かった」と言われたり,ちょっとした会話の中で「よく見破ったな」「君は面白い」「なかなか冴えてる」と誉められたり,「その気持ちはよく分かる」と言われたり,そんな日々転がっているような話で十分である。
 私は前からこの幸福論を持論にしているので,例えば,友達にも,うちの事務所の事務員にも,感心したときや感謝したときには本人に伝えるように心がけている(但し,十分にできているかは自信がないけど)。依頼者や相談者の方に対しても,「鋭いですね」,「法的にはどうあれ,その考え方は好きです(但し,「でも,法的には」と続く)」「そりゃそう思いますよね」とか,時には事件とは関係なく,「人として面白い」とか,とにかく感心したり納得したりしたときはその旨を伝えるようにしている。
 そうやってお互いに感心や感動を伝え合って生きていけば随分日々は楽しくなるような気がする。
 
 ちなみに,勝間和代についてであるが,私はカツマーではないが,4,5冊は読んでいる。別に悪くはないと思うし,勝間さんご自身は立派だと思う。ただ,これってワーキングウーマン(特に都会の)以外にはあまり役に立たない本じゃないかなぁと思った。もっとも,勝間さんが悪いのではなくて,勝間さんみたいな人を女性代表みたいな形で登場させてるマスコミがおかしいのだと思う。

 尚,リカ先生の本は,元々はうちの事務所のスタッフに借りて読んだ本である。しかし,上記の通り結構気に入ったので,改めて購入した。
 気に入った本については,読む時点では借りたものであっても,著者に敬意を表して?必ず購入するようにしている。別にお金の為に本を書いておられるわけではないのだろうけれど,一票を投じるのと同様に一冊買うのも感動を伝える行為の一つかなと思っている。